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「終活」|子なし夫婦こそ早めがいいと思った話|食器棚から始めてみた

50代からの終活

“終活”って、もっと先のことだと思っていました。
まだ元気だし、急ぐ必要なんてない。
どこか遠い話のように感じていたのです。

でも最近、ふと考えることが増えました。

私たちは、子どもがいない夫婦です。
もしものとき、この家の中にあるものは、誰が片付けるんだろう。

そう思ったとき、終活は「いつかやること」ではなく、今の自分をラクにする準備なのかもしれない、と感じました。

とはいえ、いきなり全部は無理。
だから私はこう決めました。

「思い立ったときに、ひとつだけやる」

大げさなことはしません。
できることを、できる分だけ。

そんなふうに、終活を始めてみることにしました。

なぜか最初は、食器棚だった

エンディングノートを書こうか。
保険の整理をしようか。

そう思っていたはずなのに、気がついたら食器棚の前に立っていました。
なぜ食器棚?

自分でもよくわからないけど、「まずここから」という気がしたのです。
大事なことから逃げているわけじゃない。
たぶん、順番が違うだけ。

食器棚という小さな場所が、終活の入口として目の前に現れたのでした。

食器が、入りきっていない

あれ?こんなにギュウギュウだったっけ?
よく見てみると、理由はすぐにわかりました。

いただきものの来客用のお皿。
セールで買ったマグカップ。
旅先で「記念に」と連れ帰った小鉢。
趣味じゃないけど捨てづらいグラス。

ひとつひとつは小さいけれど、気づかないうちに増えていく。
そしてその多くが、使っていない。

「いつか使うかも」と思いながら、その“いつか”は来ないまま、場所だけを取っている。
まるで、使っていない未来をずっと抱え込んでいるようでした。

手放す基準は「1年使ったかどうか」

何を残して、何を手放すか。
悩みすぎると進まないので、基準はひとつに絞りました。

「この1年で使ったかどうか」

使ったものは残す。
使っていないものは手放す。
シンプルだけど、これが一番迷いません。

特に迷ったのが「来客用」。
でも考えてみると—その来客、この1年で来た?

来ていないなら、それはもう“幻の来客”のための食器です。
そのためにスペースを使い続けるのは、やめてもいいかなと思いました。

手放したら、気持ちまで軽くなった

仕分けを終えて、不要な食器を箱へ。
思っていたより、ずっと多かった。

残った食器を棚に戻したとき、空気がふっと変わった気がしました。
ぎゅうぎゅうだった場所に余白ができて、見た目も、気持ちもすっきりする。

そのとき、ふとよぎったんです。

もし私が突然いなくなったら、この食器棚を開けた人はどう思うだろう。

子どもがいない私たちの場合、片付けるのは夫か、もしくは別の誰か。
「なんでこんなにあるの?」
「これ、どうすればいいの?」
そんなふうに困らせてしまうかもしれません。

——でもこれ、よく考えたら、
独身の方も同じかもしれません。
そして、子どもがいても遠方に住んでいる場合も、きっと似た状況になる気がします。

この家のものは、いつかは誰かが片付けることになる。
そう思うと、「今のうちに減らしておく」という選択は、誰にとっても無関係ではない気がしました。

終活って、自分のためだけじゃない。 誰かの負担を減らすための準備でもある。
食器棚の前で、そんなことをしみじみ考えました。

まとめ|小さく始めれば、誰でもできる

終活というと、どうしても重く感じます。

でも実際にやってみると、食器棚ひとつなら半日で終わりました。
体力もいらないし、特別な知識もいらない。

むしろ大事なのは、「どこからでもいいから始めること」でした。

子どもがいないからこそ、後回しにしていい理由はひとつもない。
でも、いきなり全部やる必要もない。

小さな片付けが、これからの自分と向き合うきっかけになる。
そう思います。

次は、洋服。
「クローゼットを開けたら、何年も着ていない服がぎっしり詰まっていた」を書く予定です。

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