食器棚を片付けた話はこちら。
「終活」始めてみた|まずは食器から「いつか使う」を手放した日
食器棚を片付けたとき、「次は洋服だな」と思った。
思っていた。ずっと思っていた。
でも、なかなか開けられなかった。
子どもがいない私たちは、どちらかが先に逝ったとき、残されたほうがすべてを引き受けることになる。
片付けも、手続きも、なにもかも。
それを思うと、少しずつ片付けておかなければという気持ちが、じわじわと背中を押してくる。
それでも、クローゼットだけはなかなか開けられなかった。
クローゼットを開けたら、時間が止まっていた
ある朝、意を決して両扉をバーッと開けた。
……あ、これはまずい。
服がぎゅうぎゅうだった。
それだけでなく、明らかに「今の私」が着ない服が堂々と幅を利かせていた。
10年以上前に買ったワンピース。
「いつかフォーマルな場に着ていこう」と、その“いつか”が永遠に来ていないジャケット。
「また痩せたら着る」と保留にしているデニム(痩せていない)。
時間が止まっている。
クローゼットの中だけ、10年前のままだ。
もはや「タイムカプセル」ではなく、「現実逃避の倉庫」と呼ぶべき状態だった。
手放す基準は「今の自分が着るか」
食器のときと同じように、シンプルな基準を決めた。
「今の自分が、今の暮らしで着るか」
それだけ。
「痩せたら着る」はナシ。
「いつかフォーマルな場で」もナシ。
「まだ着られるから」もナシ。
やってみると、意外とさくさく進んだ。
感情が揺れる服もあった。
若い頃に気に入っていた服、誰かにもらった服。
でも「今の自分が着るか」という問いは、感情より少し論理的で、迷いを断ち切るのにちょうどよかった。
手放してみたら、クローゼットが深呼吸した
不要な服を袋にまとめて、残った服を戻したとき、クローゼットが、ちょっと広くなった気がした。
服と服の間に隙間ができて、何がどこにあるかが一目でわかる。
「あれどこだっけ」と毎朝ごそごそ探さなくていい。
こんなに楽になるなら、もっと早くやればよかった。

手放した服の行き先
まだ使えるものは、メルカリやジモティーに出すのもあり。
ただ、写真を撮ったり、やり取りしたり、正直ちょっと手間もかかります。
私はメルカリに出してみました。
少し手間はかかりましたが、やってみると意外と楽しかったです。
ただ、片付ける量が多いと、正直ちょっと大変かもしれません。
コメ兵は、ブランド品を1点ずつ査定してくれる買取サービス。 宅配や持ち込みなど方法が選べて、希望すれば自宅に来てもらうこともできます。
ブランディアは、服を箱にまとめて送るだけの宅配買取。 家に人が来ることもなく、対面なしで完結するので気が楽そうです。
自分がいなくなったあとを想像したら、ちょっと笑えた
ふと考えた。
もし私が突然死んだとして、残された夫がこのクローゼットを開けたら、どう思うだろう。
子どもがいない私たちは、どちらかが先にいなくなったとき、残されたほうがひとりで全部と向き合うことになる。
片付けられていないクローゼットを、夫がひとりで開ける場面を想像したら、さすがに申し訳なくなった。
でも今なら、「あ、わりとすっきりしてる」と思ってもらえるかもしれない。
終活って、「残す人への気遣い」なんだなとあらためて思う。
子どもに頼れないぶん、二人でできることを今のうちにやっておこう、と。
でもこれ、よく考えたら、独身の方も同じかもしれません。
そして、子どもがいても遠方に住んでいる場合も、きっと似た状況になる気がします。
自分のものは、最後は誰かが片付けることになる。
クローゼットの前で、そんなことをしみじみ考えました。
そしてまた、母のことが頭に浮かんだ。
母のクローゼットには、何が入っているんだろう。
……それは、またいつか。

まとめ
クローゼットを開けるのは、勇気がいる。
でも開けてよかった。
洋服の片付けは、食器より少しだけ感情が動く。
思い出がついてくるから。
でも「今の自分が着るか」という問いひとつで、けっこう整理できる。
終活は、「過去の自分」と「今の自分」を照らし合わせる作業でもあるんだなと、クローゼットを前にしみじみ思った。
小さな一歩だけど、確かに前に進んでいる気がする。

次回は、エンディングノートを書いてみた話です。
思っていたより、いろいろ考えることがありました。


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